ネット仲間。

2002年2月10日
L’友達の[s]が来月の3日に結婚する。
で、私と[C][h]が披露宴に招待された。
招待されるのは嬉しいけど、最初、私たち3人は正直言って戸惑った。
だって、私たち4人はネットで知り合って、ライブ会場で会ったり、L’活動以外でも遊んだことはあるけど、お互いの本当のプライベートなところはあんまり知らない気がするし…
2次会ならまだしも、披露宴にまで私たちが参加しちゃっていいのだろうか?
「ネットで知り合いました」って公言してもいいんだろうか?
もちろん、私たちはチャットや掲示板などを通して、そしてオフ会をしたりして、本当に気の合う仲間を見つけることが出来るんだということを知っているが、
ネットでの出会い(オフ会)とかに批判的な人だってたくさんいるだろうし。
お互いHNで呼び合っているし。←客観的に見るとちょっと怪しいグループ(笑) しかも4人ともHNが怪しい…

私たち4人はお互いの年齢を知らない。
本名だってロクに分からない。
どこの学校を卒業して、どこの会社にお勤めして、家族構成とか、生立ちとか、全然知らない。
でも、友達になるのにデータなんて必要ないよな。
私たちの共通点は“L’ファン”ってだけだけど、
もしかしたらそれはものすごく重要なことかもしれない。
大切にしている部分を共有しているんだもんな。
ある意味、私たちは良き理解者であり協力者だ(笑)

住んでいる所も、年齢も、生活している背景も違い、本当なら出会うことすらなかったはずなのに、、、本当にネットのおかげだな〜
人生得した気分だ。

披露宴の当日には3人で歌を歌うように頼まれた。
どうすりゃいいんだ?
それよりも、気になるのは席次。
私たちのテーブルには何と記されているのだろうか…?

BGM 『The Kids Are Alright』(THE WHO)

誕生。

2002年2月9日
友達から連絡があって、昨晩無事に女の子を出産したそうだ。
予定日よりかなり早かったけど、たった3時間しかかからなかった、という超安産で、母子ともに健康。
昨日の晩に出産を終えたばかりなのに、電話の声も元気で安心した。

あとは早く仕事復帰してくれることを祈るのみ。
本人は「産んだら3ヶ月ぐらいで完全復帰するよ」って言ってるけど、
周囲の出産経験者は「3ヶ月なんて無理、無理」と口を揃えて言う。
どうなるんだろう?

でも、何よりも無事に出産が済んで良かった!
おめでとう〜\(^O^)/

オムライス。

2002年2月8日
今日は午前中から取材。
1件目は雑誌のHPで紹介する台湾茶のお店。
本格的茶藝館で、1人でもゆっくりくつろげる感じが気に入った。

午後は隔週誌の連載グルメページ。
オムライスのお店を2件。
1件目のオーナーシェフは取材を喜んでくれているようだったので、こっちも気が楽。
次の取材先の時間が迫っていたので、撮影したものは食べれなかったけど、どんな味なんだろう?
“オムライス”といっても、卵でライスを包むスタイルではなく、ライスも具の一部のように、卵に混ぜ込んだものだった。
玉子焼きに近い感じ…なのかな?

2件目は洋食レストラン。
レトロ調のお店で雰囲気がいい。
デミソースがかかったオムライス、これがまた美味いのだ!
お腹空いてたし、カメラマンさんと分けて食べたから、あっという間に食べ尽くしちゃったけど、ボリュームはありそうだったな。
あ〜もっと近所だったら通うのに…

20時過ぎに家に帰り、速攻で原稿書き。
オムライスの入稿は今日の22時必着だったのだ。
2件だからまだいいけど、、、急いで書くのは好きじゃない。
考えたり手直ししたりする時間もなく、とりあえず送っちゃった。
ま、いいか…

それにしても、オムライスって美味しいんだな。
実は今までほとんど食べたことがなかった(笑)

3ヶ月後。

2002年2月7日
久し振りに出社したら、旅行前に入稿した回転寿司の原稿がもう再校戻しになっていた。
早いな〜
初校時の内容確認の作業は一緒に仕事をしている[加]さんがやってくれていたので、再校での確認は私が引き受けた。
やっぱフリーと違って誰かと仕事を分担できるのは便利だ。
1人で仕事していると気楽だけど、どうしてもスケジュール的に制限がでてくるし。
でも内心、早く解放されたいとも思っている。
産休している友達が復帰するまで、あと最低でも3ヶ月…
とすると、3ヶ月後の私の仕事はどうなるんだ?
このままこの編プロに属する気は無い。
またフリーで仕事をしようと思うが、
実際、今日も今までフリーでしていた仕事を2本断ってしまった。
編プロに属している現在、フリーで個人的に仕事を受けるほど手は空いていないから、断る以外に方法はないけど、
このまま断り続けたら3ヶ月後には確実に今までフリーで受けていた仕事は無くなってしまう…
3ヶ月後には転職しようかな〜
別にライターの仕事にこだわってないしねぇ。

犬。

2002年2月6日
我家の愛犬コロちゃん。
旅行中は動物病院に預けていたので、コロちゃんと離れていることだけが辛かった。
どうしても、一刻も早く会いたかったので、昨日は成田から動物病院に直行。
両親に荷物を託し、成田で別れ、私だけ速攻で帰った。
途中、税関などで「荷物は?」とか聞かれたけど…

タクシーで動物病院に着いたのは受付時間の19時を過ぎていたけど、「どうしても連れて帰りたい」という我侭をこころよく(?)受け入れてくれて、無事にコロちゃんを連れて帰れた。
犬のいる生活は素晴らしい。
コロちゃんの体温を感じながら今日は1日中一緒にくっついていた。
幸せ〜(><)

カンボジアにも犬はたくさんいた。
ヤケに犬が多かった。
どの犬も痩せていた。
仔犬さえも痩せていて、ミニュチュアの成犬のようだった。
現地のガイドさんの「赤犬は美味しいです」の言葉で犬の多い理由が分かった気がした…
食料なのね…
出産後のメス犬の姿が多かったのもちょっと納得。
たくさん仔犬を産ませて、で、オス犬は食べちゃうんだね…
実際、移動中のバスの車窓から犬の丸焼きを持ち運ぶ人を見た。
遠目だったから詳細は見えなかったけど、あのシルエットは紛れも無く犬だった。
犬を食べる国は他にもあるけど、ここでは現実問題として、犬も大事な食料のひとつなんだなぁと実感。
人間はもちろん、犬も牛も、生き物はみんな痩せていたもんな〜
あの国でも犬を家族の一員としてみれる日が来るといいけど…

BGM 『ARKANGEL』(John Wetton)

帰国。

2002年2月5日
カンボジアに比べるとバンコクは素晴らしく発展した大都会のように思える。
飛行機でたった1時間の距離なのにね…
昨晩バンコクに戻り、夕食にはタイシャブを食べて、ホテルで休んだ。
今日は朝の便で日本に帰るだけ。

家に着けばあっという間の旅行だった気がする。
しかし、内容の濃い旅行だった。
“貧しい”という表現が適切かどうかは分からないが、旅行でその国の貧しさを目の当たりにしたのは初めてだった。
出発前から、アンコールワットの遺跡を楽しみにして、そのことしか考えていなかったけど、実際に行って見ると、遺跡の感動はもちろん大きかったけど、同じぐらい人々の生活も印象に残った。
幼稚園児ぐらいの子が裸足で物乞いしてるんだもの…
子供の就学率は3割ほどだそうだ。
戦争の影響か、まだまだ人々の表情には明るさがなく、どこか怯えたような、寂しい瞳だった。
大きなホテルも次々と建設されてきているし、5年後ぐらいにはもう少し発展して、観光地化しているだろう。
実際の生活レベルはそんなに急には変らないだろうけど。

また何年かしたらカンボジアに行きたい。
今度はちゃんと遺跡や歴史の勉強をして知識を蓄えたうえで、もう1度アンコールワットを堪能したいと思う。
その頃には人々の目に明るさがでてきているといいな。

今回の旅行はツアーだったけど、私たちのグループは5名だけだった。
私と両親の3人と、おそらく同年代の父娘の2人の2家族だけ。
同じ旅行会社の全く同じツアーのもうひとつのグループは26人だったのに(笑)
私たちは添乗員さんを含めても6名という、すごく小じんまりしたグループだったので、アットホームな気分で気ままに終始過ごせたのは良かった。

久し振りの我家に帰って安堵し、
久々にパソコンをネットに繋げて、
便利さと豊かな生活に囲まれて、
さて、私はこれからどうしよう?

人々の生活。

2002年2月4日
カンボジアでの最終日。
ひととおりの遺跡は堪能したので、今日の午前中はクルージング。
“クルージング”といえば優雅な感じだけど、川をボートで進むだけ。
道路とは言えないような悪路を30分以上進み、辿り着いた乗船場付近ではなんとも形容し難い生活が伺えた。
高床式住居をひどくしたような家々。
4畳半ぐらいの小さな小屋で、しかも床板もところどころ抜け落ちている。
川に住む人々の家はボートなんだけど、ボートの上に屋根をつけたような感じ。
中にはちょっと立派な家もあるけれど、大抵はボロボロ。
そんな家が並ぶ間を8人乗りぐらいのボートでクルージングするのだから、楽しいというよりも、現実的な生活が見えて辛い。
川は泥色に濁り、魚の死体が浮いていて激しい汚臭がするが、人々はその川の水で洗濯をし、その川の水を飲んで生活をしているという。
言葉を失って意気消沈する我々観光客。
でも現実を見つめることは大切なことだと思う。

ホテルに戻り昼食を済ませた後、お店が並ぶオールドマーケットへ。
でも日本人が喜ぶような物なんて売っていない。
時間はたっぷりあったが、早々にバスに引き上げた。
外にいると物乞いがすごいのだ。
赤ん坊を抱えた子供や地雷で足を失った人たちが集まってきちゃうので。
バスで時間を潰して、夕方にはカンボジアを後にしてバンコクに戻った。

アンコールトム。

2002年2月3日
早朝、“朝日に輝くアンコールワット”というのを見に日の出の前に出発して、アンコールワットまで行った。
結構、期待していたものの、時期が悪いのか、お天気がイマイチだったのか、そんなに感動的なものではなかった…

ホテルに戻り、朝食を済ませた後はアンコールトムの観光に出掛ける。
私が一番楽しみにしていたのがバイヨン。
想像していたよりも規模は小さかったものの、それでも言葉では表現できないほどの素晴らしいものだった。
何人もの写真家が「アンコールワットに行くと人生観が変るよ」とか言っていたけど、本当に。
これらを見てしまうと、全てがお手上げ状態。
近代化した都市なんて虚しく感じる。

夕方は“夕日に映えるアンコールワットの鑑賞”が予定されていて、丘の上から夕暮れを待ったが、これも時期が悪いのか、イマイチ。
今回は朝日と夕日を外したので、次回くるときの楽しみに取っておこうと思う。
カンボジア2日目の午前中はアンコール遺跡を数ヶ所回った。
シェムリアップのホテルがある場所からバスで10分ぐらい行くと、遺跡がたくさんあるという信じられない国だ。
ホテル周辺は一応、開発され、小さな街のような感じだが、貧困であることは一目瞭然。
バスから降りるとすぐに小さな子供たちが集まってくる。
ハガキを売りにきたり、物乞いにきたり…

昼食をホテルでとり、午後からはアンコールワットの観光。
知り合いの写真家がアンコールワットを撮りつづけているので、その人の写真展や写真集で、いっぱい見ていたけど、実際に目で見て、触れることができるのはすごい。
改めて感動。
現存することも信じられないが、これらを作ったこと自体が信じられない。
まさに世界遺産。
現在、未来、これから何年経とうと、これを越えるものはもう現われないだろう。

敬礼!?

2002年2月1日
31日に成田を発ち、夜にはバンコクに到着。
午前中は王宮とか寺院の観光。
とくに印象的なものは無かった。
午後、バンコクから本当の目的地、カンボジアまで、飛行機で約1時間。

カンボジアの空港はとっても小さな、小屋のような感じだった。
入国審査のとき、審査官がしきりと「ジャパン、ケイレイ」と言うので、日本式の敬礼を求められているのかと思い、すごく戸惑った。
日本式の敬礼ってどんなだ?
というより、何で私がこんなところで敬礼をしないといけないんだ?
敬礼をしてから通過する方式なのかとも思ったけど、誰も敬礼なんてしてないし…
どうしたらいいか迷っていると、審査官が「英語はできるか?」と質問をしてきたので、
「少しだけ」と答えた。
英語なんて全然できないから、こういう時は自分の童顔を利用して、おもいっきり幼い子供のようなフリをすることにしている。
パスポートで年齢なんてすぐにバレルけどね…幼いっていうかバカな子に近い…
2〜3英単語で会話を交わした後、審査官が再び「ジャパン、ケイレイ」と言う。
やっぱり敬礼は免れないのか!?と思ったら、続けて「Japanese beautiful」と。
あ〜なるほど、「日本人キレイ」と言いたかったのね!
相手の言いたい事が分かってホッとした。
今まで“キレイ”なんて言われたことがなかったから、嬉しいことは嬉しいが、入国審査で言われても…
紛らわしい。
危うく敬礼をするところだったじゃん!
とりあえず、お礼だけ言って、無事に通過。
添乗員さんに「ずいぶん時間がかかってたみたいだけど、何話ていたの?」と聞かれた。
いや、入国には全く関係の無い会話を…

この日はホテルに直行。
ホテルでゆっくり休んで翌日からの観光に備えた。

行ってきます。

2002年1月31日
今日から旅行。
両親と行くので少し気が重いが(苦笑)
でも、アンコールワットは1度は行ってみたかったので楽しみだ。
それに、仕事から解放されるのが何よりも嬉しい。
仕事に対して疑問や嫌気を感じたら休止期間を設けるのが最良の方法だと思う。
じゃないと続けることはできない。
少し休んで、帰ってきたら新たな気持ちで頑張ることができればいいな。

今日の夕方は飛行機の中。
何も無い状態で時間を過ごすことができるのがすごく楽しみだ。

BGM 『ELEVEN』(B’z)

校了。

2002年1月30日
ショップ併設カフェが本日校了。
何度電話しても確認が取れない某店の担当者にしつこく電話をした。担当者の携帯にまで。
ようやく、夜の10時も過ぎた頃に無事に確認が取れた。
でも、こういう手間のかかる店に限って注文が多いんだよなぁ。
なんでだろう?偶然なのか?
融通がきかない、ワガママを言う…
困りモノ。
でも仕方が無いので、編集者と相談して特別待遇に処す。
まぁ、正直言って私としてはクレームが来なければいいんだし…
とりあえず、校了。

その後、先日の取材先の原稿書き。
このお店は感じの良いお店だった〜
印象の良い取材先の原稿を書くときは気分も良いものだ。
デザインがまだなので、後で手直しは必要になりそうだけど、でも今日中に仮入稿しておかないと…
私には時間がない。

明日から旅行に行くからさ。

邪道。

2002年1月29日
母が六花亭のストロベリーチョコを入手してきた。
フリーズドライイチゴをホワイトチョコで包んだヤツ。
すごい人気があるんだってね。
この前のイチゴ特集でも取り上げていたので、製品自体についてはよく知っていたけど、食べるのは初めて。
想像していた味とは違っていたが、想像以上に美味しかった。
中に入ったイチゴがすごく酸っぱくて、周りのホワイトチョコとよく合う。
確かに美味しい。
だけど、イチゴが乾燥していると思うと気持ち悪い。
精神的には苦手な食べ物だ。
ドライフルーツとかも苦手なのよ。
本来フレッシュであるべきフルーツを乾燥させるなんて…
邪道だ。
イチゴが可哀想だ。

BGM 『NEVERMIND』(NIRVANA)

新種の仕事。

2002年1月28日
某雑誌のHPでお茶特集をするらしく、今日はその仕事の取材。
ま、内容は普段やっている雑誌と変らないと思う。

取材先も比較的近場で、しかも今日は1件だけ。
台湾風喫茶店で、お店の雰囲気も良く、オーナーさんもすごく感じの良い女性で取材自体は楽しかった。
台湾のこともいろいろ教えてくれるし。
問題は写真。
カメラマン付きじゃないから自分で撮らないといけない。
デジカメだからまだいいけど、
でも素人が撮るのってインチキ臭いぞ…

HP用の原稿ってイマイチ段取りがよく分からないけど、発売日(アップする日)が明確ではないから、きっと入稿は多少ルーズでも平気なんだろうな。
記事に間違いがあっても雑誌と違ってすぐに訂正ができるし、
そう思うとすごく気楽にできる仕事じゃん♪
写真以外は…
デザイナーさんが少しぐらい修正とかしてくれるんだろうか?
心配だ。

苦手な原稿。

2002年1月27日
明日が入稿なのを思い出したので、
夜から原稿書き。
回転寿司屋の。
はっきり言って、私はテーマの確定しているページが苦手だ。
“回転寿司”とか“豆腐料理”とか…
同じ系統のお店で、似たようなメニューで10数件も取り上げると、書き分けが面倒くさい。
はっきりした違いがあれば楽だけど、
そんなに特徴がない店やメニューの記事は似たような感じになってしまう。
ただでさえ語彙が少ないのに〜(>_<)
中トロに大きな違いがあるのか!?
県内の回転寿司屋だし、仕入れ先も同じ築地じゃーん。
とりあえず、原稿は書いたけど、
ダメ出しがでないといいな〜
明日はイチゴ特集も校了だし、編集長チェックに引っかからないといいな〜

休日。

2002年1月26日
1週間を勤め上げ(?)、久し振りの休日。
朝8時に起きたのに2度寝をしてしまい、気が付いたら12時過ぎに…
休日の幸せ、2度寝に充実感を感じた。

毎日通勤しているとどうしても睡眠不足になる。
でも、そもそも私はフリーに向いてないのだ。
怠け者だからね、休みを確保した上で仕事を引き受けるから。
〆切の翌日は必ず休みにするし。
仕事頼まれても「その日はちょっと動けなそうです…」とか言って断ったり。
「忙しそうですね…」とか言われるけど、実は家で寝てるだけだったりして…

だから、半強制的に事務所に通勤しないといけない現在の状況はいい事かもしれない。とも思う。
フリーで適当な分量の仕事をこなすほうが楽だけどね。
でもどうなんだろ?
仕事って…何さ?

BGM 『FIRE GARDEN』(STEVE VAI)

回転寿司。

2002年1月24日
やっと1週間の終わり。
わ〜い♪

今日はとりあえず事務所に行って、その後に取材が2件。
回転寿司。
1件目、16時から約束していたのに担当者が来ない…
撮影だけ先に終わらせて、待ち続けるが17時を過ぎても来ない。
次の取材先まで電車で30分はかかるから、そろそろ切り上げないとな…と思って、
お店の人に「後日電話でお話を伺います」と告げたら、担当者がノコノコと現れた(-.-
遅いよっ!
1時間も寿司が回転しているの眺めてて疲れちゃったよぉ!
時間が無いので手短に取材を終了させて、次の店に急ぐ。

2件目、担当者(オーナー)と名乗った人物は明らかにカタギの人物ではなかった。
ちょっと怖かった。。゛(ノ><)ノ ヒィ
怖いので、サッサと取材を終わらせて帰ろうと思ったら、「食べてってよ」と言ってくれたので、ありがたく頂戴しました。
顔と態度は怖いけど、親切なのかもしれない。
寿司は美味しかった。
帰り道、無口なカメラマンさんが一言
「怖かったね」
「絶対にカタギじゃないっすね…」

ま、とにかく1週間が終わって嬉しい。

BGM 『Invisible Touch』(GENESIS)

食事券。

2002年1月23日
ずいぶん前の取材先が新しく中華の店舗を出したらしく、飲食券を1万円分も貰ってしまった!
嬉しい♪
本当は友達と一緒に行ったりしたいけど、一応、この手の招待券や食事券は家族サービスにしている。
我家は外食をしないので、招待券の類は“家族で外食”の良い口実になる。
お店は事務所のある赤坂から近いので仕事帰りに両親と待ち合わせて食事に行こうと計画していたが、
お店に電話をしてみると今日は予約でいっぱいだった。
仕方なく延期。
ま、来週行けばいいや。
それにしても、今日は水曜なのに予約でいっぱいだなんて、、、そんなに人気の店なのか!?
期待してしまうな♪

BGM 『AMERICANA』(THE OFFSPRING)

失敗。

2002年1月22日
事務所で留守番をしながらアポ取りをしたり、初校の確認をしたり…
自分で取材行く訳じゃないから、、、なんて気軽にアポ取りをしていたら、半分は私が行くらしい。
えぇ〜!
今週から取材!?
自分で行く取材のアポって知ってたらもっと緻密なスケジュール組むのに(苦笑)

通勤開始。

2002年1月21日
久し振りの通勤らしきもので結構辛い。
午後からの出社だから通常の出勤と比べれば楽なんだけど、普段は午後も寝てるからねぇ(苦笑)

初日の今日はたまたま事務所でチョコレートの物撮りがあったので、カメラマンも担当編集者も来ていた。
終了後はカメラマンの[海]さんと編集の[鷹]さん、事務所の[加]、[宝]と私の5人でチョコを食べつつ話に華を咲かせた。
今日1日はほとんど雑談で終わった。
お茶会のようだった(笑)
でも、今後仕事でお世話になる[鷹]さんと楽しくお喋りができて良かったと思う。

BGM 『nimrod』(Green Day)

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